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2007年 10月 05日
我們在花蓮的前一站、吉安站下車了。這裡一帶從前是日本人開拓的吉野村,現在是吉安鄉,沒有當時的蹤影,擺放了現代化的水泥建築物。可是現在也存在開拓村和吉野神社的石碑,所以邊想當時的開拓村是什麼樣的地方,邊走向了石碑的地點。 聽說石碑的地方在鄉公所的附近,詳細的地點不清楚。時間快傍晚,步行時間也許很長,去便利店買了飲料和地圖。我開地圖跟服務員問路。還是鄉公所的附近。我們首先邊走向那邊,有時邊問路。 地圖說中途經過的廣場裡有養老院,我跟老人問路。他邊說日語的單詞“Jinja(神社)”邊指出方向。以前的台灣遊記經常有說好日語的矍鑠老人親切指南的記述,時光乾脆過去了。 大家都親切教我們同樣的方向,可是方向的範圍很大。繼續走路之後發現了日本大發汽車的商店。營業的職員會知道詳細的地點。店內展示Copen,那輛敞篷汽車在鄉鎮的郊外顯出了鮮紅。青年的職員給鄉公所打電話,很熱情。我看來我們去鄉公所就好。 “日本的Copen引擎排氣量660cc,這輛Copen排氣量多少?” 日本銷售的Copen因為是微型車(日語叫《輕自動車》)所以排氣量660cc,可是我聽過出口汽車採用了別的引擎。我問之後,青年格外高興,說“1300多”。他說得很快,我聽不取了詳細的數量。 我們繼續走路。氣候很悶熱,可是續走路沒問題。有時跟人家的會話也許使精神輕鬆。在鄉公所裡,職員給我們觀光地圖,終於瞭解了詳細地點。觀光地圖說石碑的地點在慶豐市場的附近。 我們走在住宅區的小路,幾個歐幾桑乘晚涼。我問他們石碑的地方,他們好像都喝酒高興,一起給我們引道。晃晃蕩蕩的腳步走向野草繁茂的小路。他們到底知道嗎?....我邊想邊追他們。開拓的人們好像在草叢裡辛苦.....我邊想邊進入之後,原、吉野村的開拓紀念碑站在市場後邊的荒地,吉野神社的紀念碑藏在草叢裡。他們說得很對。石碑的地方在青草繁茂的荒地。原、吉野村是已經忘記的存在.....我想這樣,有點痛心了。 #參考日文文件 Koisuru Asia #50,吉野村 -開拓台灣花蓮平野的日本人-(著者:福田桂二) #
by sepatakurou
| 2007-10-05 13:06
2007年 10月 04日
花蓮の手前、吉安駅で下車した。この辺りはかつて日本人が開拓した旧・吉野村であったが、今は吉安郷であり、当時の面影はなく、台湾風のコンクリ建物が並ぶ。ただ、開拓村と吉野神社の石碑があるそうで、かつての開拓村がどんな所なのか思いながら、そこを目指すことにした。 石碑の場所は郷公所(村役場)の近くにあるそうだが、くわしい場所は分からない。夕暮れにさしかかる時分とはいえ長い時間を歩くことになりそうなので、コンビニで地図と飲物を買う。ついでに、スタッフに神社の場所を尋ねる。やはり郷公所の近辺である。とりあえずその辺りへ向かいながら時々尋ねることにした。 地図を見ると途中通り過ぎる広場の中に養老院があるので、そこでご長寿にも尋ねてみた。片言の日本語で「ジンジャ」と言いながら方向を示してくれた。かつての台湾旅行記には日本語の達者で矍鑠としたご長寿が何かと親切に教えてくれた主旨の記述がよく見られたが、やはり時は過ぎてゆくものである。 場所を尋ねると皆同じ方角を親切に教えるのだが、いかんせんそれらはかなり大まかである。さらに歩き続けるとダイハツのディーラーがあった。営業の人なら細かい場所を指し示すかもしれない。店内にはコペンが展示され、地方の町外れで真っ赤なオープンカーは鮮やかに映っていた。ディーラーの青年は郷公所に問い合わせたりと頑張ったが、様子をみると郷公所へ向かった方がよさそうだ。 「日本のコペンはエンジン排気量が660ccなんですが、このコペンは排気量がいくつですが」 日本で売られているコペンは軽自動車なので約660ccだが、輸出用は違うエンジンが乗っているので聞いてみた。青年は待ってましたと上機嫌になり「1300幾つ」と答えてくれた、早口なので細かい数字を全て聞き取ることができなかった。 さらに歩き続ける。蒸し暑いのだが、なぜか歩きつづけることができた。途中、尋ねる人々との会話が気分を軽くしているのかもしれない。郷公所では職員が観光地図を下さり、ようやく詳しい場所を知ることができた。観光地図によると慶豊市場の辺りである。 住宅地の路地を歩くと、数人のおじさんが夕涼みをしていた。石碑の場所を尋ねると、ちょうどお酒で上機嫌になっていたようで数人がかりで石碑跡へと案内してくれた。フラフラと歩き出す方向は草ボウボウのけもの道である。本当に分かっているのかなと心配になりつつ付いていく。こうした草むらの中で開拓の人々は苦労したのかなと思いながら進むと、市場裏側の荒れ地に旧・吉野村の開拓記念碑が立ち、吉野神社の記念碑は草中に隠れるようにあった。おじさんの言うとおりであった。石碑のある場所は草が生い茂る荒れ地であった。旧・吉野村はすでに忘れ去られた存在であると思ったときは、ちょっと心が痛んだ。 ■参考文書 恋するアジア50号 吉野村 -台湾花蓮平野を拓いた日本移民-(福田桂二著) #
by sepatakurou
| 2007-10-04 13:01
2007年 09月 27日
第一天的嘉義、昨天的演唱會等等,這次旅遊內容好豐富,我早已感覺“旅遊已經結束了”。因此決定了枋寮、台東、花蓮的歸程。到枋寮坐公車。公車的運將駕駛很性急,經常超過車輛。台灣駕駛很亂,這評價無法停止,可我來看車流也有老實的駕駛人。但是評價不好的原因是公車、計程車等公共車輛的駕駛很亂。旅遊者利用公車、計程車,所以留下了不好印象。
公車跑得很厲害,馬上到了枋寮。開往台東的列車還有時間,我去旁邊的鐵道藝術村散步。嘉義以外,枋寮等台灣各地有鐵道藝術村。很遺憾的事,工作室關門,拍了車站的照片,在咖啡廳喝咖啡了。我想如果過幾箇月製作作品的話,枋寮很好。因為避免大城市的吸引力,到高雄坐莒光號只要1箇多小時離大城市不遠。鄉鎮不大不小,海邊的南國精神不會緊張。 列車開始走向台東。進路變東,就爬山中的鐵路。有時經過山中的小站,鐵道員照看駛過的列車。在小站繼續工作的人到底想什麼?列車爬下的時候,有時看到東部的海邊。這仿佛了日本高知縣的山路看到大海的風景。到了平地,右邊就是大海。列車晚點達到了台東。這里換去花蓮的列車,買了便當。 列車不在沿著海邊,在兩邊山脈的平地行駛。池上停車一點點。那裡的土產物是池上大米和池上便當。在台東買的便當就是池上便當。池上、豐田、瑞穗等日式站名有時看到。以前這邊是日本人入植的地方。日本人來開拓的地方是什麼樣的地方,我們在花蓮的前一站下車了。 #
by sepatakurou
| 2007-09-27 13:40
2007年 09月 26日
初日の嘉義、昨夜のコンサートとかなり濃密な旅程を経てきたので、早くも「もう旅は終わった」気がしてきた。そこで枋寮・花蓮・台北経由で帰路を決めた。枋寮までバスで向かう。バスの運転手はやたらせっかちで追い越しを繰り返す。台湾は運転が乱暴という評判は絶えないが、道路の流れを見ているとおとなしい運転をする人もいる。にもかかわらず評判がよくないのは、バス・タクシーなど公共車両の運転が荒いからである。旅行者はバスやタクシーに乗るので、印象が残るのであろう。
バスは飛ばしまくったので、かなり早く枋寮に着いた。東部の台東へ向かう列車に乗るまでまだ時間があるので、すぐ側の鉄道芸術村を散歩した。鉄道芸術村は嘉義にかぎらず、枋寮など台湾各地にある。あいにくワークショップは閉まっていたので、枋寮の駅を撮影したり、カフェでコーヒーを飲んだ。もし、作品を何ヶ月かかけて作り過ごすなら枋寮がいいかなとふと思った。大都市の喧噪に吸い込まれず、高雄へは急行で1時間あまりなので都市から遠くない。街の大きさも手頃だし、海沿いの南国だから気分が煮詰まらなくていいかもしれないからである。 列車は台東を目指す。東へ進路を変えると山中を登り始めた。時折、山中で小さな駅を通過するが、駅員が通過する列車を見守っていた。こうした駅を守り続ける人々は何を思うであろうか。列車は下りはじめると東部海岸の海が時折見えてきた。高知の山道から海を見下ろしたそんな感じである。平地へたどり着くと右手に海が広がった。列車はやや遅れて台東駅に到着した。花蓮へはここで乗り換える。乗り換えついでに弁当を買う。 列車は先ほどの海岸沿いではなく、山に挟まれた平原を走る。池上で小停車した。そこは池上米と池上弁当が名物である。台東で買った先ほどの弁当である。池上・豊田・瑞穂と日本的な駅名がときおり見かける。この辺りはかつて日本人が入植したところであった。日本人が開拓した所はどんな所なのか、花蓮の手前で下車した。 #
by sepatakurou
| 2007-09-26 14:42
2007年 09月 21日
演唱會還沒開始,可已經進行恆春遊行、CD等販賣店、提供吃飯等系列活動,都是很熱鬧的。我意外得到了便當,送給他北海道的魷魚干。台灣人很親切,我不想一直接受他們的善意,所以準備了一些耐存的贈品。 演唱會是開放式,長椅子放在舞台的後邊,可以隨便坐。入場免費。日暮天黑的時候,演唱會開始了。這個地方的小孩子演奏月琴,各位歌手輪著唱歌談話,內容好豐富。我有時散步,去看販賣店,可是春田先生伸著腰聽音樂了。他說沒感覺周圍的騷音,聽得入迷了。最後是朱丁順老師的演奏和歌。他雖然年紀80歲,聲音和演奏的力量很大。 民謠演唱會是土地的活動,所以歌手的談話是台灣話。我跟販賣店的人說國語,他努力說英語。我想要是了解台灣人的心情,要說台灣話。 結束演唱會之後時間很晚了,可我們吃了晚飯。台灣的食堂有魯肉飯、擔子麵等一般菜以外,還用放在店鋪前邊的材料做菜。春田先生發現了筍子 tanukidaponta先生指出那盤菜不是茭白筍。因此我修訂文章。 春田先生的台灣遊記(日文) #
by sepatakurou
| 2007-09-21 13:06
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